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365 일독성경 9월 15일 (2)

 

갈라디아서 2:1-2:16

하나님께서는 베드로를 유대인의 사도로, 바울을 이방인의 사도로 부르셨다. 바울은 베드로가 안디옥에 이르렀을 때 그에게 책망할 일이 있다고 하면서 유대인과 이방인에 대한 베드로의 외식 행위를 책망하였다. 그리고 율법의 행위가 아닌 예수님을 믿는 믿음으로 의롭다함을 얻는다고 강조하였다.
 
  베드로를 책망한 바울(2:1-2:16)    
 
  1. Then fourteen years after I went up again to Jerusalem with Barnabas, and took Titus with me also.
  2. And I went up by revelation, and communicated unto them that gospel which I preach among the Gentiles, but privately to them which were of reputation, lest by any means I should run, or had run, in vain.
  3. But neither Titus, who was with me, being a Greek, was compelled to be circumcised:
  4. And that because of false brethren unawares brought in, who came in privily to spy out our liberty which we have in Christ Jesus, that they might bring us into bondage:
  5. To whom we gave place by subjection, no, not for an hour; that the truth of the gospel might continue with you.
  1. その 後十四年たってから, わたしは バルナバ と 一緖に, テトス をも 連れて, 再び エルサレム に 上った.
  2. そこに 上ったのは, 啓示によってである. そして, わたしが 異邦人の 間に 宣べ 傳えている 福音を, 人¿に 示し, 「重だった 人たち 」には 個人的に 示した. それは, わたしが 現に 走っており, またすでに 走ってきたことが, むだにならないためである.
  3. しかし, わたしが 連れていた テトス でさえ, ギリシヤ 人であったのに, 割禮をしいられなかった.
  4. それは, 忍び ¿んできたにせ 兄弟らがいたので ――彼らが 忍び ¿んできたのは, キリスト · イエス にあって 持っているわたしたちの 自由をねらって, わたしたちを 奴隷にするためであった.
  5. わたしたちは, 福音の 眞理があなたがたのもとに 常にとどまっているように, 瞬時も 彼らの 强要に 屈服しなかった.
  1. But of these who seemed to be somewhat, (whatsoever they were, it maketh no matter to me: God accepteth no man's person:) for they who seemed to be somewhat in conference added nothing to me:
  2. But contrariwise, when they saw that the gospel of the uncircumcision was committed unto me, as the gospel of the circumcision was unto Peter;
  3. (For he that wrought effectually in Peter to the apostleship of the circumcision, the same was mighty in me toward the Gentiles:)
  4. And when James, Cephas, and John, who seemed to be pillars, perceived the grace that was given unto me, they gave to me and Barnabas the right hands of fellowship; that we should go unto the heathen, and they unto the circumcision.
  5. Only they would that we should remember the poor; the same which I also was forward to do.
  1. そして, かの「重だった 人たち 」からは ――彼らがどんな 人であったにしても, それは, わたしには 全く 問題ではない. 神は 人を 分け 隔てなさらないのだから ――事實, かの「重だった 人たち 」は, わたしに 何も 加えることをしなかった.
  2. それどころか, 彼らは, ペテロ が 割禮の 者への 福音をゆだねられているように, わたしには 無割禮の 者への 福音がゆだねられていることを 認め,
  3. (というのは, ペテロ に ¿きかけて 割禮の 者への 使徒の 務につかせたかたは, わたしにも ¿きかけて, 異邦人につかわして 下さったからである ),
  4. かつ, わたしに 賜わった 惠みを 知って, 柱として 重んじられている ヤコブ と ケパ と ヨハネ とは, わたしと バルナバ とに, 交わりの 手を 差し 伸べた. そこで, わたしたちは 異邦人に 行き, 彼らは 割禮の 者に 行くことになったのである.
  5. ただ 一つ, わたしたちが 貧しい 人¿をかえりみるようにとのことであったが, わたしはもとより, この 事のためにも 大いに 努めてきたのである.
  1. But when Peter was come to Antioch, I withstood him to the face, because he was to be blamed.
  2. For before that certain came from James, he did eat with the Gentiles: but when they were come, he withdrew and separated himself, fearing them which were of the circumcision.
  3. And the other Jews dissembled likewise with him; insomuch that Barnabas also was carried away with their dissimulation.
  4. But when I saw that they walked not uprightly according to the truth of the gospel, I said unto Peter before them all, If thou, being a Jew, livest after the manner of Gentiles, and not as do the Jews, why compellest thou the Gentiles to live as do the Jews?
  5. We who are Jews by nature, and not sinners of the Gentiles,
  1. ところが, ケパ が アンテオケ にきたとき, 彼に 非難すべきことがあったので, わたしは 面とむかって 彼をなじった.
  2. というのは, ヤコブ のもとからある 人¿が 來るまでは, 彼は 異邦人と 食を 共にしていたのに, 彼らがきてからは, 割禮の 者どもを 恐れ, しだいに 身を 引いて 離れて 行ったからである.
  3. そして, ほかの ユダヤ 人たちも 彼と 共に 僞善の 行爲をし, バルナバ までがそのような 僞善に 引きずり ¿まれた.
  4. 彼らが 福音の 眞理に 從ってまっすぐに 步いていないのを 見て, わたしは 衆人の 面前で ケパ に 言った, 「あなたは, ユダヤ 人であるのに, 自分自身は ユダヤ 人のように 生活しないで, 異邦人のように 生活していながら, どうして 異邦人に ユダヤ 人のようになることをしいるのか 」.
  5. わたしたちは 生れながらの ユダヤ 人であって, 異邦人なる 罪人ではないが,
  1. Knowing that a man is not justified by the works of the law, but by the faith of Jesus Christ, even we have believed in Jesus Christ, that we might be justified by the faith of Christ, and not by the works of the law: for by the works of the law shall no flesh be justified.
  1. 人の 義とされるのは 律法の 行いによるのではなく, ただ キリスト · イエス を 信じる 信仰によることを 認めて, わたしたちも キリスト · イエス を 信じたのである. それは, 律法の 行いによるのではなく, キリスト を 信じる 信仰によって 義とされるためである. なぜなら, 律法の 行いによっては, だれひとり 義とされることがないからである.
 
  면책(面責, 2:11)  얼굴을 마주하여 반박함  

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