- この 確信をもって, 私は 次のような 計畵を 立てました. まず 初めにあなたがたのところへ 行くことによって, あなたがたが 惠みを 二度受けられるようにしようとしたのです.
- すなわち, あなたがたのところを 通って マケドニヤ に 行き, そして マケドニヤ から 再びあなたがたのところに 歸り, あなたがたに 送られて ユダヤ に 行きたいと 思ったのです.
- そういうわけですから, この 計畵を 立てた 私が, どうして 輕率でありえたでしょう. それとも, 私の 計畵は 人間的な 計畵であって, 私にとっては, 「しかり, しかり. 」は 同時に, 「否, 否. 」なのでしょうか.
- しかし, 神の 眞實にかけて 言いますが, あなたがたに 對する 私たちのことばは, 「しかり. 」と 言って, 同時に「否. 」と 言うようなものではありません.
- 私たち, すなわち, 私と シルワノ と テモテ とが, あなたがたに 宣べ 傳えた 神の 子 キリスト · イエス は, 「しかり. 」と 同時に「否. 」であるような 方ではありません. この 方には「しかり. 」だけがあるのです.
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- この 確信をもって, わたしたちはもう 一度惠みを 得させたいので, まずあなたがたの 所に 行き,
- それからそちらを 通って マケドニヤ におもむき, そして 再び マケドニヤ からあなたがたの 所に 歸り, あなたがたの 見送りを 受けて ユダヤ に 行く 計畵を 立てたのである.
- この 計畵を 立てたのは, 輕率なことであったであろうか. それとも, 自分の 計畵を 肉の 思いによって 計畵したため, わたしの「しかり, しかり 」が 同時に「否, 否 」であったのだろうか.
- 神の 眞實にかけて 言うが, あなたがたに 對するわたしの 言葉は, 「しかり 」と 同時に, 「否 」というようなものではない.
- なぜなら, わたしたち, すなわち, わたしと シルワノ と テモテ とが, あなたがたに 宣べ 傳えた 神の 子 キリスト · イエス は, 「しかり 」となると 同時に「否 」となったのではない. そうではなく, 「しかり 」が イエス において 實現されたのである.
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